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1995年広島大学歯学部卒業
2000年はなだ歯科クリニック開設
2003年医療法人はなだ歯科クリニック理事長就任
2003年床矯正研究会九州支部 支部長
2005年国際歯周内科研究会指導医
2007年OAMインプラント指導医
2010年日本口腔感染症学会 院内感染予防対策認定医
その他の所属学会 日本化学療法学会 口腔感染症学会 臨床歯周病学会 国際歯科学士会 国際審美学会 オーソトロピクス研究会 歯列育形成研究会 国際口腔インプラント学会
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私は男ばかりの3人兄弟の長男として春日市で生まれました。幼稚園のころは教室の大きなブロックを独り占めして遊びたくて、朝一番に登園するような子でした。
もちろん、当時流行っていた仮面ライダーごっこも大好きで父に買ってもらった仮面ライダーV3の変身ベルトが大のお気に入りでした。
小学校に入ってからは図画工作など物を作るのが大好きでした。小学校の卒業式で発表した将来の夢はロボットの設計士でした。
中学校時代は父の転勤で北九州の小倉に引っ越したりで、1年生、2年生、3年生と1年ごとに違う学校で過ごしました。そのこともあってクラブ活動が継続してできなかったことは残念でしたが、転校が続いたこのときに新しい友達とすぐに仲良くなれるすべを覚えました。
初めて会った方でもすぐに打ち解けることができる性格になったのもこの頃の経験があったからだと思います。転校生として注目を浴びるのが少し快感でした(笑)。
あと、当時はガンダムのプラモデルに熱中していて、あるコンテストで金賞もいただいたのが当時の自慢でした。手先を使うことがとても好きでした。
高校は福岡大学付属大濠高校に進学しました。実は第1志望の高校に落ちてしまい、第2志望の高校でした。きっとこれが最初に味わった挫折でしょう。本当に悔しかったのを覚えています。毎日通学中に電車の窓から第1志望だった高校が丘の上に見えるんです・・・。
1年間その悔しさをバネにして猛勉強して、2年生からは理系特進クラスに入ることができました。しかし将来、「高校時代は何をしましたか?」と聞かれた時に「勉強ばかりしてました。」というのはあまりにも悲しすぎると思い、2年生になってからは本格的にバンド活動を行うようになりました。担当はドラムです。自分の部屋にドラムを置いて叩きまくっていました。今思えばとっても近所迷惑だったでしょうね。にも関わらず、全く苦情もいない温かい町でした。ご近所の方、本当にごめんなさい。浜田省吾さんのコピーバンドをやっていました。
実はこのバンド、ボーカルがめちゃくちゃ上手で文化祭でスカウトされたことがあります!プロになる気なんて全くありませんでしたのでお断りしましたが、もしかすると、もしかしたかもしれません(笑)。
このバンド活動を通じて友情とチームワークの大切さを学びました。この時の仲間は今でも一生の友です。
今、講演活動などを行うようになったのもこの頃に人前に出ることの楽しさを知ったからかもしれません。部活は新聞部でした。甲子園に取材にいける、女子校訪問もできると誘われて不純な動機で入ったのですが、特進クラスの補習でどちらもいけませんでした(苦笑)。でも、新聞記事を書くことで文章を書くことの楽しさをこのときに覚えました。
子供の頃から技術者にあこがれていましたし、「手に職」をつけるのが良いと母に言われて育てられたこともあって理系に進むことは最初から決めていました。ただ、漠然と工学部に入ってなにかの技術者になりたいと思っていました。そんな中、同じクラスの友達の多くが医学部を目指しているのに影響を受けて、「手に職」なら医師より歯科医師と考えるようになり、歯学部を志望するようになりました。
しかし、父親は会社員でしたし、親戚にも歯科医師はいませんでしたので最初は両親に反対されました。学費がたくさんかかる私立の歯科大学はとても無理でしたので国立大学ならということで賛成してもらいました。
K合塾に1年間お世話になったあと、広島大学歯学部に入学しました。入学してすごくビックリしたのが、新入生オリエンテーションキャンプでした。全学部の新入生約2000人が宮島でキャンプをするのですが、ものすごい盛り上がりなのです。
ハイズカという踊りをみんなで踊るのですが、帰りの船でも踊るのでが揺れて揺れてすごかったです。あまりにも楽しかったので2年生になってもフェロー(世話役)として参加しました。春のキャンプ本番までに、その準備として合宿やプレキャンプを数回行うので結構大変でした。そのおかげでたくさんのすばらしい友達ができました。「生きるとはどういうことか?」なんて話を一晩中、熱っぽく語り合っていました。
当時、教室から学生食堂に行くまでに多くの友達に会ってしまうので、挨拶や立ち話をするためになかなか食堂にたどり着けないということもありました。それからF&Gというテニスサークルにも所属して企画を担当しました。テニスの練習はそこそこに合宿や色々な企画を主に担当していました。新入生歓迎会、夏合宿、冬合宿などなど。いわゆる盛り上げ係り、まとめ役でした。今思えば、このときにどうやって人を楽しませるか?組織をどうまとめるか?などリーダーとして必要なことをたくさん学べたと思います。
当時から予防歯科に興味があり、虫歯予防研究会に所属して学園祭のときは無料歯科検診を行っていました。3年生になって専門課程に上がってからは実習と試験に追われる毎日でした。
解剖実習のとき、顎関節症の研究のために開業医の方が一緒に参加されていました。
この先生が後に私が勤務することになる歯科医院の院長、藤田和也先生でした。藤田先生には虫歯予防研究会OBということもあって、とてもかわいがっていただきました。医院見学を度々させていただき、大学では学べないことを学生のうちから教えていただくことができました。6年生になって臨床実習に上がったときはかなりの知識を持っていましたので、今思えば生意気な学生で指導教官は少し扱いにくかったかもしれません(苦笑)。
大学病院では配当される患者数も少なかったので、たくさんの知り合いにお願いして治療に来ていただきました。おかげで周りの同級生が暇そうにしている中、私だけ忙しく診療していることもありました。早く技術を習得したいと気持ちが周りの同級生よりも強かったのだと思います。
卒業後すぐに学生時代から尊敬している藤田先生の歯科医院に就職しました。日常の診療のかたわら、月1回は東京で行われる講習会に出席させていただきました。全国的に有名な先生に総入れ歯や歯周病の手術などについて教えていただきました。
藤田先生は顎関節症の研究をされていましたので、学会発表や歯科医向けセミナー、本の出版のお手伝いをしながら、咬み合わせ、顎関節症の勉強をさせていただきました。このような経験から私自身も歯科医向けセミナーを開催するようになったのだと思います。
当時は帰宅が夜12時を過ぎることも珍しくなく、1ヶ月間全く休みが無いこともよくありました。自分でも本当によくがんばっていたと思います。藤田先生の親身なご指導と家族の支え、立派な歯科医になりたいという強い思いがあったからこそ、当時のハードな生活を乗り切ることができたと思っています。
5年間、藤田先生には歯科の知識や診療技術だけでなく、歯科医としてという前に人としてどうあるべきか、診療に対する姿勢、患者さんを想う心、歯科医として必要なことをすべてを教えていただきました。独立開業に当たって藤田先生にいただいた言葉は「人生2度なし」です。実は、毎日見れるようにカウンセリングコーナーの壁に飾ってあります。
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高校時代までを過ごした地元である大野城市で開業することにしました。九州一円から患者さんに来ていただけるようにとJR大野城駅前を開業地としました。私、妻(受付)、衛生士、歯科助手の4人でのスタートでした。新しいマンションが続々増えている町でしたので、新しく引っ越して来られたたくさんの方に来院していただきました。
一般的には開業してもなかなか患者さんに来ていただけないといわれる中、ありがたいことに順調に患者さんの数は増えて3ヶ月もすると忙しく診療させていただけるようになりました。しかし、開業して6ヶ月が過ぎた頃、大変な時期がありました。当時は妻も受付として働かせていただいていましたので、長女はお隣の「やさしい保育園」にお世話になっていました。
朝8時から預かっていただいて夜8時に迎えにいっていました。寂しかったのでしょう、歯科医院につれて帰ってくるといつも甘えて泣いていました。まだまだ雑務が残っているために私たちは夫婦はあまり長女にかまってあげることもできずにいました。夕食は歯科医院のスタッフルームでコンビ二のお弁当を家族で食べていました。そんな中、2歳の長女が肺炎で入院することになってしまったのです。
その時、妻のお腹には長男がいて妊娠5ヶ月でした。妻は長女の入院している病院に看病のために泊まって、そこから歯科医院に通って受付の仕事をしていました。そのような生活が1ヶ月続きました。妻はとても大変だったと思います。このあと、田中さん(現在の受付・主任)に入社してもらい、妻の受付の仕事を引き継いでもらいました。
さらに1ヵ月後、今度は私が体調を崩しました。おたふく風邪にかかってしまったのです。39度の熱が2週間続きました。熱さましの薬が効かずに眠れないんです。明け方にもう一錠飲んでやっと熱が下がって眠れるというような状態でした。今までにかかった病気の中で一番辛かったです。
治療していただいた先生には入院を勧められましたが、開業してまだ1年もたっていない状態でしたのでとても診療を休むことはできませんでした。歯科医師は私一人しかいませんでしたし・・・。
申し訳なかったのですが、おたふく風邪にかかったことの無い患者さんだけはお断りして、昼休みに点滴を受けながら診療を行いました。
開業当初はそんなこともありましたが、今では素晴らしいスタッフに恵まれ、私が講演活動や学会参加のために医院を留守にしている時も立派に医院を運営してくれるようになりました。また、たくさんの患者さんに「はなだ歯科クリニック」の理念に共感していただき来院していただています。その多くの方が予防歯科(定期クリーニング)、矯正治療のための定期的来院です。本当にありがとうございます。「Good smiles everybody!」はなだ歯科クリニックが1番大切にしていることです。
これらも来院者の皆様、スタッフ、出入りの業者さん、はなだ歯科にかかわるすべての人が笑顔になれるような医院、笑い声とありがとうの言葉があふれる医院を目指して、スタッフ一同がんばっていきたいとと思います。


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